todoちゃんのインターネット初体験の話。
こんばんは。
todoちゃんです。
nifty 35周年ですか!?
おめでとうございます。
\(^^)/
長い道のりだったなぁ。
僕のPCライフも45年くらいになりますからね。
niftyさんもそれくらいになるでしょう。
今でこそ、インターネットが当たり前の世界になってしまいましたが、僕は、それまでの長い道のりをPCと共に歩んで来た生き証人です。
黎明期、パーソナルコンピューター PC なんて言葉は、なかったんです。
本当!!
「電子計算機」だったんです。
しかも、ビルじゃなきゃ入らない大きさだったんですよ!
こんなことを言っても、誰も信じないと思いますが。
電子計算機は 略して 「電算機」
僕が、大学時代には有りましたね。ビルの中に。
本当です。笑
そして、ネットワークはありませんでした。
全部スタンドアローン。
でも、そんな時代から説明を始めると、多分 todoちゃんは一冊の本を書くことになってしまいますから・・・・・端折りますね。
昔はね、電話線で電算機と遠方の電算機をつないで、0と1で音の高低を決めて2進数で電算機と電算機に会話をさせて、データを送っていたのです。モデムという機械。
その頃、@niftyさんがサービス始めたのね。
ニフティサーブ !!
通信速度は300bps 秒間300バイト、笑。
今の速度は、一般家庭でも1GBでしょ?
面白いネタがあります。
僕の通信仲間で仕事の先輩がいたんです。
隣の市に住んでいた。
ある時、ワープロの実行ファイルが壊れた。
試しに、実行ファイルをモデムで送ったのね、2時間半かかりました。
電話代が爆発。
今は、数秒で済んじゃうことが多いダウンロード。
当時は、それでも 1200bpsの モデムを誇っていたので、自慢げにやったんですが、死にました。
電話代は、市外局だったから、18000円くらい払った。( ; ; )
ひどい時代だったなぁ。笑
3.5インチのフロッピィディスクを持って行った方がよほど安かった。
ってか、お話にならない速度でした。
それでも、当時はホストとなるコンピューターを設置して、電子掲示板を掲げて憩いの場を設ける人が出て来た。
そして、ホストとしての「ニフティサーブ」が登場。
掲示板の「書き込み」で情報交換するスタイルができました。
そして、1990年頃? ついに社会インフラとしてのインターネットが ISP:インターネットサービスプロバイダーによって、接続を可能にしてついに我が家にもインターネット環境が整う。
OS は 今はなき 「OS2 Warp」IBM
僕のマシンは・・・・ あら? 自分のウェブサイト見ないと忘れちゃった。
ま、いずれにしても、インターネットで目にしたものは 数々のウェブサイト、しかもみんな英語の世界。
しかし、世界中にあまたたびある ウェブサイト(ホームページと言っていたが間違い)に刺激を受け、いつか自分のサイトを発信して、世界的に有名になってやろうと 鼻息を荒くして、青春を過ごしました。
ISP は当初、IBM でしたが、ニフティが ISPを始めたので速攻、契約をしまして、ニフティでインターネットを楽しむことになったんです。
だから、ニフティ @nifty は僕の青春と共にインターネットの変遷を見て来た 良き相棒だったんです。
おい、相棒よ!
僕は、まだ 世界で有名になる夢を捨てていないぞ!!
65歳のGさんになっても、僕は世界に笑顔を広めるんだぞ。
@ニフティよ これからもよろしく頼むぞよ。
僕のハンドルネーム は todoちゃんだよ〜 笑
ポイントください。笑
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